さて、いよいよ龍樹菩薩の「中論」について、その理解の取り組みに入りました。 中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) レグルス文庫 昨日と今日で一応、一気に日本語訳文は読み終えましたが、ほとんど流し読みに近いもので ...
... 中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) レグルス文庫 とにかく初期大乗仏教の体系を確立させた龍樹菩薩の中観の理解に取り組むことから進めます。ここにきてやっとかと思われるかも知れませんが、浅学非才・未熟者の身 ...
... 31歳になると南インドに行き、龍樹菩薩の弟子で年齢が700歳という龍智菩薩に弟子入りし、七年間仕えて伝法灌頂を受けた。 後に金剛智三蔵は弟子の不空を南インドに派遣し、龍智から伝法灌頂を受けることに成功している。 ...
... 3.箕面山の滝で龍樹菩薩から「蜜法受法」を果たす ★知らなかった、箕面の瀧安寺が役行者の開祖でそこで密教の教えを授かったのか!今度行ってみよう。 4.(役行者)興味深いのは、最後の最後まで、母親と一緒だった点だ。 ...
... 本地仏は 勢至菩薩 、もしくは 竜樹菩薩 とされており、御神体は木造の男女の像であったという事で御座います。 現在の場所から少し離れた場所に鎮座されており、また御社殿も随分と大きく御立派なものであったようで御座います。 ...
那伽龍樹
般若心経の那伽龍樹、ナーガアルジュナは、中国で龍の字が使われている故か、或は水辺の出身なるが故か、ある人たちが水神という言い方をされているのを、聞いたことがあります。それはいいのですが、マハ・バーラタに....
釈迦の位置付けって?
学生のころ、「如来とは悟りを開いた人で、菩薩とはもうすぐ如来になる人だ」と習いましたが…阿弥陀如来、大日如来、薬師如来…等、宗派やお寺によっていろいろなご本尊がいらっしゃいますよね。それぞれの宗派(という呼称が....
仏教の修業で悟れる?
仏教の修業で悟れると言う人がいるんですけど、私の知る限り、この世で悟れたのは仏教の開祖であるお釈迦様だけでしょう?どうも悟りの階段は、想像を絶する程に厳しいようです。そのため、悟ることのできない修業の仏教....
ブッダの教えと、仏教。菩薩。阿弥陀。
ん。小乗、大乗は解りますが、いわゆる仏教はいつから宗教として何がきっかけで、成立したのでしょうか?少なくとも、ブッダは菩薩や阿弥陀などの存在を語ってなさそうだし、となれば後世の人が創作したように思えますが、そうなると....
南無阿弥陀仏って、正しいの?間違ってるの?
逆に「この人は一切経を読まずに、自論を持ち出した」などはありますか。(たとえば、親鸞、竜樹、世親、天台、伝教、空海、空也、カタエンニシ、などなど)(2)日本で一番広まっているのは、南無阿弥陀仏....
モーセは殺人を犯したのに十戒で「殺すなかれ」と言い、竜樹は強姦魔だったのに「....
モーセは殺人を犯したのに十戒で「殺すなかれ」と言い、竜樹は強姦魔だったのに「不邪淫戒」を標榜する仏教徒から「菩薩」と呼ばれています。逃げて悔い改めればよいのでしょうか。矛盾していると思いませんか?

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般若心経などの経典は、なぜ漢文なのでしょう?一度、原語サンスクリット語カナ文....
般若心経などの経典は、なぜ漢文なのでしょう?一度、原語サンスクリット語カナ文字で唱えてみたいです。 また、これが和漢混交文でしたら、おかしいでしょうか?また、この経典に「文学」としての価値はありますか

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浄土教は、「現世」だけを意識しているのでしょうか。「心」の働き、あるいは「魂....
浄土教は、「現世」だけを意識しているのでしょうか。「心」の働き、あるいは「魂」の働きを単なる脳細胞の働きに過ぎないという見方をしているのでしょうか。また、「仏を供養する」とはどんな意味でしょうか。いろいろ質問して、頂戴した回答では、「浄土教は、後世を認めていない」ように思えます。しかし、まだ、如何しても肯けません。それは、私が、「あの世」というものがあると思っているということでは在りません。「浄土教が後世を認めない」ということが本当かどうか理解できないのです。「人間は電光朝露の夢もぼろ幻の間の云々」「仮の宿り」「去来現」「後世を知る」「前世・後世」「宿善無宿善の有無」こういうことがいわれていますが。これをどのように理解したら良いのでしょうか。さき、本願寺や大谷のテキストを読むようにとの回答も頂きましたが、両派の出している聖典の間でさえ、原典の読み方に差異が見られますし、そういうものを読み通して理解できるような能力を、私は持ち合わせていません。だから、このカテで何か得るものが在るのではないかと思って質問する次第です。特に、前世来世を肯定的に見るか否定するかは、仏の教えを理解する上でのベースですから。「浄土教は、後世を認めていない」という考え方は昔からあっただろうと思いますし、その方が、理性的でしょう。しかし、いわゆる仏典を、そのような観点で読めば、すべてが喩え話であり、方便であり、作り話になってしまって、小説あるいは文学の類に堕してしまうのではないでしょうか。又、そうだとすれば、関連宗派が、信者から多額の寄進を集め、立派な堂塔を建て、派手な行事お執行していることを、どのように理解したらいいのでしょうか。多くのお僧侶の豊かな暮らしぶりをどのように考えるべきでしょうか。寒風の中、炎暑の下で野良仕事して稼いだ僅かなお金を寄進させていることをどのように教団は考えているのでしょうか。又、僧侶が立派なお衣を纏って一段高い所で振る舞われるのはどういうことでしょうか。 阿弥陀堂よりも御影堂を立派にして、宗祖の御恩を阿弥陀様の御恩よりも強調されている様に見えるのそれ故なのでしょうか。御同朋御同行と言われたという宗祖親鸞の意に背くものの様に思いますが、如何でしょうか。前世来世に否定的な御回答の中には、字義を相当に広げて論じられている面があるように思いますが、それは、さきのお東騒動や、戦前に戦争推進を肯定的に活動したり、そして今又、反戦を唱えて政治問題に深く言及する人たちの誤り、そうした方向へ行く危険性を孕むものではないでしょうか。浄土教各派の偽らぬ本音を教えていただきたく思います

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